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最近思ったことを書きたいと思います。(戯れ言のはじまり~
最近、信長が良く出る番組が多くないですか?(功名が辻とか明智光秀とか・・・etc
それで思ったんですけど、信長の比叡山焼き討ちはどう評価すればいいのでしょうか?一般的には残酷だとか非道とか人間の行うことではないとかいっています。明智光秀の謀反の原因の一つにこの焼き討ちが入っているという話もあります。
しかし、当時のことを考えると正当な行為ではないかという考えも浮かんできます。
そもそも、僧とは何でしょうか。自分が思うに僧とは世俗を離れて修行し、殺生は避けて自らを高見に導いていくものです。そのため僧になることは、それなりの覚悟が必要で僧になると人々にありがたいと言われるのです。
それでは当時の様子を考えてみましょう。「天下三不如意」という言葉があるように、当時の僧は武器を持って仏の名を使って朝廷に対して多大な影響力を持っています。普通、世俗を離れて暮らすはずの僧が下界で暴れ回っているのです。これは、僧侶としてあるまじき行為ですが朝廷も手が出せません。なぜなら、僧の背後には仏がいるからです。特に比叡山は人々の信仰の中心であり、それ故手が出せないのです。
さて、今度は信長を見てみましょう。信長は天下統一を狙っています。そのために国を盗っていったのですが、一見すると天下統一と焼き討ちには何ら共通点がないように見えます。しかし、よく考えてみてください。もし、比叡山を放っておいて天下を統一してもそれは不完全なものでしかありません。たとえ天下を収めたとしても、その中に反乱する可能性のものがいては天下を収められないからです。本当に天下を収めたければ比叡山も攻略しなければならないのです。
これで、信長が比叡山を攻めたことを納得できたかと思います。しかし、それでも焼き討ちはやり過ぎではないか、女や子供まで殺すなんてと思う人もいるかもしれません。自分には何ともいえないことではありますが、女子供を殺すことに関しては(特に子供に関して)致し方ないと思います。ココで生かしてしまっては必ず後世のに於いて反乱を起こすでしょう。それに生き残りは僧にいたものです。「仏敵信長を討て!自分は比叡山焼き討ちの時の生き残りだ!あの惨状を仏は嘆いておられる。信長を討てば極楽浄土にいけるであろう。」とでも言えば民衆が立ち上がり織田政権は崩れ去ってしまうでしょう。それでは信長が戦をしてきた意味がありません。以上のことを考えると信長が比叡山に於いて行った行為は何ら残酷でも非道でもなく当然の行為だったように見えます。
最期に焼き討ちにあった比叡山に関してですが、その後の比叡山は僧兵もいなくなり寺院としての本来の姿を取り戻したようです。その事実だけを見ると信長の行為はある意味比叡山を救ったというようにもとれるのではないでしょうか。